一昨日、自宅のチェンバロをとある調律法にして、
今日も同じ調律法も使ってみたのだけれども、
「調律法が特定の作曲家の作品を呼ぶ」
という不思議な現象が起きることがある。
今日はフレスコバルディ氏の作品を呼んでいた。
ヴォルフを含む調律だから、おそらく隣近所には耳慣れない音程。
フレスコバルディも、一晩中弾くなんていうことは、今のところないので、
それほど我が家の近所には鳴り響いている音楽でもなく、
恐らく隣近所にはキツかっただろうと思う(笑)
ちょっぴりルイ・クープラン氏の作品も呼んでいたのだけれども、
私自身にとっては、こちらの方がポイントをついているのだが、
調律法は明らかにフレスコバルディ氏のd-mollとF-durの作品たちでした。
楽曲分析をすると、発見があって、その発見した時の感覚というのは、
ものすごく幸せなことであったりするのだが、
音楽とは全く関係のないものについて、同じ感覚を感じることがありました。
本人「楽曲分析と同じ見方」をしているとは思っていなかったのだが、
本能的に物事の分析は「楽曲分析」と同じ神経(?)が働くようで、
後から同一の分析方法をしていることに気付く。
どこぞに「音楽のない人生なんてあり得ない」という文章(キャッチフレーズ?)が
転がっているけれど、根本的に音楽がありきなのかもしれないです(笑)私の場合。
(意味不明な文章で、申し訳ございません m(__)m )